不労所得による経済的自由の達成とその現実

不労所得による経済的自由の達成とその現実

前回までに、お金の稼ぎ方(収入)稼いだお金の使い方(支出)手元に残ったお金の運用について触れてきました。

 

これらを積み上げていくことで不労所得を得ることが出来、将来的に働く必要のない状況(=経済的自由)を達成することは確かに可能となります。

 

でも、これを言っては元も子もないのですが、筆者としてはこの働かないために経済的自由を得たいと言う考え方は、実はあまり好きではありません。

 

そもそも、働く必要がなくなったとしても、何もせず遊んで暮らしていくということが果たして人間として出来るのだろうかと思うからです。

 

仮に南国で「ぼ〜と」過ごして行くことが可能となった場合でも、1年もすれば飽きてしまいそうな気がせんか?少なくとも、そのような生活が5年も続けれる自身は筆者にはありません。

 

それに、経済的自由を達成出来ているほど経済力を手にしているならば、寧ろその経済力を使って更に社会に貢献していくべきと思っています。勿論、体を使って働くのはこれ以上難しいというのであれば、頭を使ってでも良いのだと思います。何よりも経済的自由を達成出来るくらいの実力があるのだから、その才能を世の中に還元しないのは勿体ないなとも思います。

 

いずれにせよ、人間は悲しいかな、社会と何らかの繋がりを求めてしまうものだし、常にない物ねだりをしてしまうので、働く必要がない=働かないと言うことにはならないんだと思います。

 

ではどうしたら良いのでしょうか?

 

それは逆転の発想で、一生働くにはどのようにしたら良いかと考えてみては如何でしょうか?

 

と言うのも、ある程度成功できたということは、ある意味それを楽しんでやってきたとから達成出来たと言うことなんだと思います。辛い仕事を続けていても、経済的自由には中々たどり着けませんよね!

 

こうして達成した生活を、いきなり変えろと言われても、それは好きなことをするのは辞めて理想像(ハワイでのんびり生活?)に従って生活をしなさいと言われているのと同じなんだと思います。

 

そんな生活はそう長くは続かないのではないでしょうか?

 

だからこそ筆者は、一生、付き合っていくということを前提に、今やっていることが将来に行っているであろうことにに結びついて行けるよう、計画立てて行動することを心掛けています。

 

このように考えると、短期的な思考では、

 

「資本金が少なくても始められること」
「少ない追加資本で継続していけること」
「若くても出来ること」

 

と言ったところが重要となって来ますが、

 

同時に将来を見据えると、

 

「一生続けても飽きなそうなこと」
「世の中の進化の過程で淘汰されないこと」
「世の中の進化を味方に出来ること」
「将来のビジネス拡大とリンクが可能であること」
「世の中の役に立つものであること」

 

などの長期的な視点も欠かせないものとなってくるのだと考えます。

 

次に続く

 

 

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